
子どもの頃、砂場で山を作ってトンネルを作ったり、川を流したりしませんでしたか?泥団子も、濡らしたり乾かしたりしながら、固くきれいな団子を作ろうと努力していたと思います。砂でものを作るのってとても楽しかった気がします。
先日鳥取に行き、初めて砂丘を見ました。やわらかくきれいな砂を踏んで歩きました。砂丘を超えて臨んだ海もまた大きく美しかった。ずいぶんと久しぶりに大きな景色に触れ、心が落ち着きました。何もないのだけれど、そんな場所だからこそ感じる安らぎでした。

近くで開催されていたのが世界砂像フェスティバル。砂丘の砂で作られた、なんとも繊細でダイナミックな作品が並んでいました。雨が降っていたのですが、崩れることなくそこに佇む砂の作品たち。決して永遠に保たれる芸術ではないのですが、砂というもろく弱い材料を使って、芸術家たちが自らの魂を表現しようとしていたように思いました。彼らの魂がひしひしと感じられる、そんな空間が広がっていました。
ゴールデンウィークが始まります。もう始めている方もおられるかもしれませんが、何か優しいものに触れ、美しいものに触れ、心を静かに過ごす時間を持つことができる休日になるとよいですね。みなさん良い休日をお過ごしください。
世界砂像フェスティバル 5月31日まで
音楽を聴いていると時に泣きそうになったり、嬉しくなったり、切なくなったり、心が安らかになったりします。和音や、楽譜には表れない揺れ、軽やかなパッセージ、強弱、秘めた想い、いろんな要素が絡まり合ってそんな音楽を作っています。
フィギュアスケートもそうだと思います。感動して泣きそうになりました。使う音楽も作品の一つです。そして一つ一つの動き、ただ何回回るとかだけじゃなくて、緩やかに流れるところでも身体全体で表現される何か。すごい芸術家たち…あんな広い場所で観客を魅了する。技術だけが突出していたってなんとなく簡素なものになってしまう。高度な技がないと点数にならないのはこの芸術の厳しいところだけど、ゆったりしたところで魅せることもすごく大切な技術であることには違いない。表彰台に乗る人たちの演技はやっぱりそのどちらも持っている人たちであったように思います。
先日からシンクロワールドカップが行われています。
全ての瞬間に美を追求し続ける人たちの姿に、
演技が始まると目が離せなくなります。
全身に張り巡らされ、研ぎ澄まされた美の意識、
爪の先までという表現がぴったりです。
見る側も瞬きすらできません。
あのしなやかさ、鋭さ、丁寧さ、豪快さなど、
音楽の表現でも真似してみたい。
何より彼女達の演技には、
何か生命の輝きのようなものを感じます。
これも専門的なことはわからないけれど…
呼吸のできない場所だからかもしれませんが、
水の中で生命の神秘を表現しているように見えます。
日本のソロ、鈴木選手の演技もすばらしかった。
フリーでは、トッカータとフーガが生む鼓動と、
彼女の内側から溢れ出る表現が、
ひとつの作品として存在していました。
もし彼女が優勝していたら、
ちまたにトッカータとフーガが広がったかな?
すでに嘉門氏が有名にしているけど。
帰りに花火が見えたのでふと自転車をとめて眺めていました。人はすぐに消えるものに憧れます。花火、流れ星、手のひらに舞い落ちた雪…道の途中で見た花火はとても綺麗でした。写真をとろうかとも思いましたが、私は花火を写真に残す術を知りませんでした。
音楽もすぐに消えてしまう。科学が進んで、録音や録画することができる。けれど、それはその場所にしか存在しない、空気を通して伝わってきたものとはまた違う。ましてそんな技術がなかった時代に、人々がどんな音楽を作っていたのか、私たちは永遠に知ることはできません。ただ偉大な先人たちは楽譜というすばらしい宝物をくれました。
その宝物が私たちに想像させるのです。ショパンは、リストは、どんなピアノを奏でたのでしょう。ヴィヴァルディはどんなヴァイオリンを、ブクステフーデは、バッハはどんなオルガンを奏でたのでしょう。エイクはどんなリコーダーを、スカルラッティは、フレスコバルディはどんなチェンバロを奏でたのでしょう。そして、カレスティーニは、セネジーノはヘンデルのアリアをどのように歌ったのでしょう。
現代の巨匠達と同じように演奏したのでしょうか。それは誰にもわかりません。
昔ある人が言いました。
「美術は永遠の、音楽は刹那の芸術である。」
永遠だから残せるものがあるように、その瞬間、そこにいる人々の中に、刹那だからこそ残せるものがあるのです。
今日は絵を見に行きました。
友人の友人が個展を開くと言うので、
これは行かねばと楽しみにしていました。
私は絵のことは詳しく知りません。
だけど、その人の絵はそんな私にも何か感じさせてくれました。
色使いがどうとか、構成がどうとかはわかりませんが、
絵を見て嬉しくなったり切なくなったりするのです。
そんな風に人に何かを感じさせることのできる人が羨ましい。
彼女は芸術家でした。
アトリエにはずいぶん長くお邪魔して、話をしました。
話をしている間もいろんな人が訪れて絵を眺めていました。
絵は永遠の芸術で、いつまでもそこにいて、人々に何かを伝えることができます。
音楽は刹那の芸術で、その演奏はいつまでもホールに残りません。
ステキな絵を見ながら、少しさみしくなりました。
けれど刹那であるが故にその一瞬にすべてをかけ、
いつまでも人の心に残ることができるのです。
少なくとも本番のためにしてきた練習、
そして一緒に練習してきた仲間たちと迎えた本番は、
私の中に残っています。
お客さんの中にも何かを残せたらなお幸せです。
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