
実物は見たことがないけれど、とても有名で一度は見に行きたい作品。ミケランジェロの天地創造。これはその一部分で、神が人間であるアダムに魂を吹き込む場面らしい。
でもこの絵を見ると、まるで、人間そのものを表現しているような何かを感じます。神が腕を精一杯伸ばし人間に触れようとしている。でも人間の腕と指は曲がり、そこにわずかな隔たりが生まれている。いつも神は我々に精一杯愛情を込めて手を差し伸べているのに、我々はそれに気付かず、いつも自分たち人間のことばかり考えているのかもしれません。

実物は見たことがないけれど、とても有名で一度は見に行きたい作品。ミケランジェロの天地創造。これはその一部分で、神が人間であるアダムに魂を吹き込む場面らしい。
でもこの絵を見ると、まるで、人間そのものを表現しているような何かを感じます。神が腕を精一杯伸ばし人間に触れようとしている。でも人間の腕と指は曲がり、そこにわずかな隔たりが生まれている。いつも神は我々に精一杯愛情を込めて手を差し伸べているのに、我々はそれに気付かず、いつも自分たち人間のことばかり考えているのかもしれません。
何かの狭間で苦しむ時、海を見に行くときっと癒される。海は大きいから。渚…海でもなく、陸でもなく、空でもない場所。スピッツのマサムネさんが昔、先生に教わったとか。スピッツの歌が好きになったのはこの曲から。
高校で卒業研究みたいな取り組みがあって、この「渚ー海でもなく、陸でもなく、空でもない場所ー」をテーマにしました。内容は渚と掛けて、海から陸へ、そして空へ、その進化のまっただ中にいる動物について。
当時の私は、周りの人もそうだったと思うけど、子どもと大人の狭間にいた存在でした。
今もそうかもしれない。

疲れた時は空を見てみます。今日は日射しが気持ちよかったです。真っ青な空に白い雲が浮かんでいると、laputaに憧れたことを思い出します。雲からちょこっと覗かないかななんて思うほど。好きすぎてビデオ(予約すると飛行石がついてた)、コミック、DVDを手に入れ、またどんぐり共和国に行っては、ジブリの世界をただ眺めて楽しんでいます。ジブリの世界って本当に素敵。
異文化の遺跡、不思議な世界、空に限りなく近い場所。地に足をつけて働く日々に疲れたら、時には空に憧れても良いですよね。昔みたいに頻繁に現実逃避はできないけれど。でも何が現実であるか、なんてそこに存在する間に確信するのは難しいのかもしれません。昔ある人が蝶になった夢をみて、目が覚めてから考えました。私は蝶になった夢をみた人間だろうか、それとも今人間になっている夢をみている蝶なんだろうか。
先日京都のピカソ美術展に行きました。ピカソといえば、キュビズムの創始者の一人で、立体の全てを前面に出す特徴的な絵でとても有名です。子どもの頃から天才でデッサンを極めたからこそ、子どもの頃に描けなかった絵を求め続けていたのだろうと思います。彼の絵を見ていると、時にとってもかわいい絵があります。美術展でも数点並んでいましたが、私は彼の牛の絵が好きです。牛といっても、ゲルニカのような怒りや悲しみにあふれたタッチで描かれたものでなくて、ただ初めて牛さんをみてその大きさにドキドキした子どものように描かれた絵がとても好きです。
昔パリのピカソ美術館で買った写真の絵はがきなのですが、ピカソのユーモア溢れるその写真作品が今でも印象に残っています。食卓の前に座ったピカソ。手は膝の上にきちんと揃えているようで、机の下に隠れています。食卓の上には10個の小さな(といっても1つで朝食には十分な大きさの)フランスパンが並んでいて、5個ずつちょうどそれぞれの手が隠れたあたりに、指のように並んでいます。それを知人に見せた時に彼は言いました。「やっぱりピカソは手も凡人とは違うなぁ。」

高校生のとき、よくノートに絵を描いていました。授業中、ノートの片隅に描いた落書きのようなものから、何かを表現したくて描いたものまで。これは当時つけていた日記の1ページ目に描きました。もともと鉛筆でしたが、白いお絵描き帳に複写してみました。日記のタイトルは「四角い心(まど)から見えた情景(けしき)のスケッチブック」。当時の、人に言えない苦悩や悲しみをただ言葉にして表現したもの。空を切り刻む電線、その恩恵を受ける生活、そこで戯れる小鳥たち。進路を考えながらいろいろなことを思っていたのでしょうね。もやもやも、言葉にするとけっこうすっきりするものです。話せる相手がいないとき、私の場合、自分に話してみるのでした。
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