Posted by M.Mukai on 10月 19th, 2007
風がとてもいいにおいがします。今日は少しだけ南の方、山の近くへきました。ゆっくりと歩いていると秋のバラードが聞こえてきます。毎日がそんなふうに流れたら、きっと心も身体も健康でいられることでしょう。
空を見ながら、同じ高校のある女の子のことを思い出しました。正確に言うと、彼女が書いた作品を思い出しました。彼女は高校生らしい将来への不安や、希望を持っている人でした。私はたぶん同じクラスでもなかったと思うし、一度だけ暑中見舞いをもらったくらいであんまり覚えていません。ただ廊下に飾られた、彼女が美術で作った作品、そこに添えられたなんとも高校生らしい言葉が、今でも残っています。
「現実を見なさいっていうけど、理想を持っちゃいけないの?」
現実は、きっと理想で変わり続けるものです。

高校生のとき、よくノートに絵を描いていました。授業中、ノートの片隅に描いた落書きのようなものから、何かを表現したくて描いたものまで。これは当時つけていた日記の1ページ目に描きました。もともと鉛筆でしたが、白いお絵描き帳に複写してみました。日記のタイトルは「四角い心(まど)から見えた情景(けしき)のスケッチブック」。当時の、人に言えない苦悩や悲しみをただ言葉にして表現したもの。空を切り刻む電線、その恩恵を受ける生活、そこで戯れる小鳥たち。進路を考えながらいろいろなことを思っていたのでしょうね。もやもやも、言葉にするとけっこうすっきりするものです。話せる相手がいないとき、私の場合、自分に話してみるのでした。
月を見ていると、自分についていた嘘が、その光に、それこそ晒されて行く気がします。
信じるふりも、気付かないふりも、いつかと云う言葉に寄せた想いも。その光の前では、力ない表情で流れて行きます。
音楽を聴いた時にも同じようなことが起きます。それが何かを持っていて、心を動かすものであればあるほど。
問題はそれが嘘であることを受け止める勇気があるかどうか。
いろいろなことがありますね。世界の大きなできごとに自分の些細な悩み事などどうでもよいことに思えます。先日読んだ本に、おもしろいことが書いてありました。私たちが空に見上げているのは、空いっぱいの悠久の過去であると。何分前か、何億年前かはわからないけれど、過去の光が空に広がっていると。何年も前に放たれた光がやっと地球の我々の目に映る時には、もう光の主は存在していないのかもしれない。
そんな話はよく聞くのだけれど、並んで書かれていたのが、空の光が過去のものであるのと同じように、我々が見ているすべてのものに「現在」のものはないのではないかと。1秒にも満たない過去ではあるけれど、遠くに見える誰かの背中も、さよならと手を振る友だちの姿も、テーブル越しの恋人の笑顔も、すべては過去のものではないかと。無限分の1秒のずれが我々にもたらしているものはわからないけれど、刻々と過去になりつつある世界で、こんにちはが、次の瞬間にはさよならになっているかもしれない世界で、誰かと同じ瞬間を生きることができるだろうか。今を離さないように。まず自分が過去に生きているのではいけない。過去を築きながら道の先端にいないといけない。

ため息をつくと一つ幸せが逃げるらしい。でも少し楽になった気がしました。きっと悪いものも出ていったんでしょう。新しい気持ちをたくさん吸い込んで。
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