閉会

Posted by Y on 8月 24th, 2008

 オリンピックが終わりました。全部を見たわけではないけれど、その中で印象的だった場面、少しだけ触れてみたいと思います。
柔道

 柔道初日、初戦で敗れてしまった男子柔道。4連覇の可能性よりも新しい世代として選ばれ、喜びと同時にきっとプレッシャーも想像を絶するものかと思います。期待は大きく、結果が悪ければ間違いなく偉大な先輩と比較される。そんな中での初戦敗退。悔しさは計り知れない。弱い私ならきっと心が折れてしまう。しかし彼はどうするだろう。

「はいあがろう。
負けたことがある、というのがいつか大きな財産になる。」
高校バスケットボールインターハイ、全国を連覇していた王者・山王工業が、全国初出場の無名・湘北高校に破れた時、山王工業監督が選手にかけた言葉。

 体操男子団体、解説で冨田選手の言葉が紹介されました。「体操は全ての瞬間が美しくなければならない」。ステキな言葉だと思いました。彼の演技に表れていました。そのための練習が簡単でないことはよくわかります。それは超絶技巧のように、できたという成果が目に見えるものではないかもしれない。ただ全ての瞬間が無意識のうちに流れてしまわないように、繰り返し繰り返し確認し続ける。その上で行われる超絶技巧は、勢いだけでなくきっとより美しい。苦手な種目も選手によってあると思うけれど、中国の選手の演技もただ難しいだけではなかったように思います。新採点法、美しさがどこまで点数として評価されるのかは、専門家でないのでわからないのだけれど。新体操も、シンクロも、きっと同じ。全ての瞬間が美しくあるために、大きなプレッシャー、不安を抱えながらも、どれだけ強い精神力で演技と向かい続けてきたことでしょう。そうして演じられたもの、日本の選手の演技に限らず本当に感動します。

 音楽も体操に似ている。
鞍馬はアレグロで常に動き続けるVirtuosoな音楽、吊り輪はラルゴではなくアダージョ。鉄棒、流れるモデラート、床と平行棒は緩急豊かに構成され、それぞれ選手によって自由に装飾し、変奏される。着地、跳馬、カデンツ。
いい加減に扱ってよい音はなく、全ての音が美しくなければいけない。

 日本の選手に限らず、印象的なシーンはたくさんだけれど、きりがなくなってしまうので後は心にとどめておこうと思います。みなさんにもそれぞれに感動した場面や印象的なシーンがあったはず。私たちはただ見ているだけだけど、何かしらの糧になったらいいなと思います。

…オリンピックの間も、心配されてた北京でのテロはなかったということですが、いたるところで争いや傷つけ合いがありました。自分の主張を肯定するために相手を否定する、それぞれ想いや考えが違うのは当然だから、違う想いや考えがあるんだねってまず言葉を交わせたら…応援にもそんなことがあったでしょうか。自国を応援するために相手の選手を罵倒する、自国の選手でも、結果が悪いと攻撃するというのとても残念です。それだけ強い想いがあるということかもしれないけれど、最後には拍手を贈りたいと思いました。

風景画1(鉛筆による複製)

Posted by Y on 8月 17th, 2008

風景1
 朝、窓を開けると、気持ちいい風が入ってきます。まだまだ暑いけど、秋を迎える準備が少しずつ始まっている気がしました。

 高校生の時、授業中ノートに描いた走り描きを再現してみました。当時は同じような絵をたくさん描いていました。気が付いたら木を描き始めていて、丘(というかただ空に近い場所)があって、雲があって…そうした風景画、最後には小トトロや鳥などをその世界の住民として、根っこのそばに描きました。

 人を描くことはあまりしませんでしたが、このノートの切れ端には、木陰に人を描いていました。(モデルはなく、抽象的な存在ですが、あえて当時のままのキャラクターを残しました。)当時はなぜか彼に、トランペットを持たせたくなりました。それが彼にとって、誇りなのか安らぎなのか、恋人なのかアイデンティティーなのかはわからないけれど、彼が悲しい時も嬉しい時も、いつも一緒にいるような存在であってほしいと思って。

 雲をただ黙々と描くのが好き。その時の偶然が生んだ形、無限の可能性、時に重たく、時に輝いて空をレイアウトする。光の描き方は正直わかりません。だから影を描きます。影は光のないところに生まれないから。きっと光を見せてくれる。木や草、葉を描くのも好き。葉を一枚一枚描いていくうちに、大木の全貌が見えてきます。どんな大きな木も、その一枚から始まる。

 光と影、自然の姿、たとえ描くものが空想であっても、それらを絵で表現するのに必要な理を、私はまだあまり知りません。デッサンの技術も研究も足りない。だからもっとたくさん本物を見て、空想の世界も創造していきたい。

☆この絵はデッサンギャラリーの一室、「M.Mukaiとは」に掛けています。足りないものはたくさんだけど、心の風景画として置いておこうと思います。スペースの都合で少し小さくなりましたが、当時のノートに裏表で描いていたものを複製して、連作っぽく並べてみました。よかったらぜひご覧ください。

北京オリンピック

Posted by Y on 8月 9th, 2008

 昨日開会式がありました。サッカーはオリンピックの開催期間内に収まらず既に予選が始まっていますが、開会式を持ってオリンピックが幕を開けました。

 開会式、内容や演出に関して感動というより、それを作ろうと努力をしてきた人たちのドラマを思い、心を打たれます。あれだけ多くの人がまとまり、開会式という一つの作品を作り上げるためにどれだけの苦労があったか、想像を絶するものがありますね。監督や演出、個人演技で責任を与えられた人たちが背負ったものはもちろん、映像に個人として映らないような一人一人のドラマにもすごく興味があります。中には毎日練習から帰っては家で家族に練習の様子を報告していた子どもや、練習から帰ってもさらに一人で練習していた子ども、仕事しながらも、夢の舞台の一部を彩るため毎日寝る間を惜しんで練習した人、暑い中の練習も楽しくて日常の辛いことも全部忘れて取り組んできた人、家族や友人が出演することを本人と同じように喜んで応援してきた家族や仲間、表には出ないけれど開会式がうまくいくように、裏で支えているたくさんな人たち…観客に見えるのはほんの一瞬の成果だけかもしれないけれど、その一瞬に映る笑顔や真剣な眼差し、個人としては映らなくても、鳩の翼や、円の一部として、準備や裏方として自分に与えられた役割を一生懸命に演じ、務める人たち。そうして生まれた開会式という美しい作品、そこにたどり着くまでのドラマを想像して、ただただ感動しました。

 競技も同じようなことを感じながら見ています。メダルを期待されてる人がいれば、力や実績的には、メダルの候補としては注目されていない選手まで、それぞれに背負ってるものがありドラマがあります。勝ち負けも気にはなるし、日本の選手が良い成績を残したら嬉しい。でも、開会式でもいろんな表情で入場してくる選手を見ながら、それぞれの選手のベストが尽くせたらいいなってそんな気持ちになりました。

マラソン 今日もいくつかの競技が終わって、その結果に選手はもちろん、自分のことのように一生懸命応援し、拍手や歓声、結果が期待通りではない時にも、健闘に惜しみない称賛を送るサポーターの人たち、その一時一時に様々な感情があるかと思います。同じ入賞でも、自分のベストを尽くせて嬉しい結果であったか、メダルを目指していての結果であったかで違う。同じ一回戦敗退でも出場できて舞台に立てた喜びの中での結果か、メダルを目指していての結果かで違うし、同じ銅メダルでも、表彰台に立てるものすごく嬉しい結果であったか、金を目指していての結果であったかで思いはきっと違う。そんなそれぞれの思いがあるからこそ一つ一つの競技がとても感動的です。
デッサンギャラリーより「二位でゴールした瞬間のマラソン選手」

 政治的なこととか、テロのことで開催前から今回のオリンピックは騒がれていました。みんなの感情すべてが納得いくような形にはならないかもしれない。それでも、中国で初めてのオリンピックを楽しみにしている中国の人たち、一つ所に集まってオリンピックの開催を喜ぶいろんな国の人たち。全ての人とは言えないかもしれないけれど、そうした喜びの機会であり、また喜びだけではない、様々な気持ちがあるということを気付かせてくれる機会でもある大会が、無事に終わってほしい。